これは、黒壱が生まれた世界と京終堂のある世界に昔あった「妖祓い」と「妖」の関係とかその辺のお話。
その世界には「妖」という概念が存在する。
下級の(ほとんど自我を持たない/不定形の)異形の類を「怪」と呼び、ある程度の知能や能力を持つ異形の類を「妖」と呼び、人間や妖の力では遠く及ばないほど強い強い力を持つ存在を「神」と呼んだ。
そしてそんな異形の何もかもをまとめて「妖怪」と呼ぶこともあった。
(その世界においては、「神」とそれ以外のものは明確に区別されている。
信仰心を集め、神を付けられたとしても、本来の「神」には遠く及ばないことが当然だった。
例外的にとても力の弱った神も存在するには存在するが、例えその力が衰えたとしてもその尊い性質は失われていないため、歯向かえばそれ相応の「穢れ」を負ったり対価を払うことになる。
そのため、「神祓い」は並大抵の者では成し得ない上に、割に合わない程の多くの犠牲を払うことになる愚行/蛮行とされている。
また、人間や妖が神と並ぶほどの力を得ることも無いことは無いが、その尊い性質を得ることはほとんど全く無い。
それこそ悟りを開き仏となるほどの修練を積む必要がある。)
で、ここからが、そんな妖たちと人間の境界を守る「妖祓い」の話。
ただ全然伊予苑の本筋に関係ないのと、本筋の話の冒頭で書いたやつが整然としてる上に、書き直すのも面倒なんで抜粋します。
『五弁花の話』から抜粋
妖祓いとは。
妖をその目に写すことができるもの。
妖を祓う力を持つ道具を扱えるもの。
妖を使役する力を持つもの。
妖を祓う力を持つもの。
後々の時代においては、その全て、あるいは三つの条件を満たすものが「妖祓い」と呼ばれるようになる。
妖祓いたる為の、その力は遺伝する。
そのため、妖祓いを家業とする血筋も存在した。
1の一線、2の二葉
3の三筋に4の四角
5を飛ばして6の六弁花
この歌は、後の世代にて謳われるようになる、古くに続く妖祓いの名家を指す歌だ。
多少の優劣はあれ、拮抗する五つの血筋を謳った歌である。
妖を使役する際に現れる、契約紋。
大抵の場合、契約紋も血によって受け継がれるもの。
歌中に謳われる名は、それぞれの家の契約紋––すなわち、家紋を表している。
この話は、そんな歌の生まれる前
5番目が飛ばされるようになる所以
五弁花が伝説となる話だ。
こんな感じです。
で、この「五弁花」が伝説となる話に黒壱(アナザー)が出てくるというか、「五弁花」さんは黒壱の初代主人であり初恋(概念)の人です。
そしてその話までは黒壱(伊予苑)も同じなので詳しい話はまた黒壱の方で書きます。
「妖祓い」の本質は、人間という「こちら」側の生き物と、妖怪という「あちら」側の生き物との「境界」を守るもの。
つまり「魔女」とよく似た行為をしている。
が、別に全員が魔女と関わりがあるわけではない。
本来の出発点は魔女との関わりもあったはずだが、「妖祓い」という概念が定着する頃にはもう完全な別物となっていた。
「妖祓い」は人間、つまり「こちら」側の生き物で、「こちら」側からの「自衛」にすぎないことが多かった。
そのために、いくつか分岐した世界のうちのほとんどでは、自衛が過ぎて「あちら」側、つまり妖怪たちを滅ぼしてしまっている。
分岐した世界の話題が出たので少しこのまま説明します。
その世界では「五弁花」というものすごく強い力を持った人が「分岐点」となっていた。
まず、その人が生まれるか生まれないかで世界が分岐、
その人が男か女かでまた分岐、
その人が黒壱(と他の妖)と出会うか否かでまた分岐、
その人が「神祓い」を任されて成功するか失敗するかで分岐、
その人が「神祓い」の際に相打ちとなるか生き延びるかで分岐、
その後その人の子孫が途絶えるか続くかで分岐、
子孫に同じ「五弁花」の力を持つ子が生まれるかどうかでまた分岐、
(この人は関係ないけどその後妖怪が滅びるか滅びないかどのくらい繁栄してるかで分岐している)
と言った風に、この人関連だけでめっちゃ世界が分かれました。
黒壱のいた世界は「五弁花が女に生まれ」「黒壱と出会い」「神祓いに成功するものの」「相打ちとなってしまい」「その後その人の子孫も途絶え」「最終的に世界が終わってしまう」世界線。
で、実はこの「五弁花」さんの別世界線の同一人物が京野。
京野(京終堂)の世界は「五弁花(京野)が男に生まれ」「黒壱とは出会わず」「神祓いに成功し」「異形となりながらも生き延び」「その後子孫は途絶えるものの」「妖怪たちは細々と生き延びている」世界線。
多分詳しい話は各個別のページで書きますがまとめると「黒壱の初恋の人(故人)が別世界線だと生き延びていたのが京野(ただし男/人間は辞めた)」です。